野中古墳を登るクラスメート(墳墓でなく武具・装飾品を副葬)
平成30年10月5日(金)
府民カレッジ・富田林校久しぶりの屋外講座でした。
大型台風の心配もありましたが、当日の天候は曇り。蒸し暑くもありましたが風が吹いていて、まずまずのお天気でした。
政府が2019年に世界文化遺産登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」のイコモスによる調査も終了したようです。古墳は羽曳野と堺市両方で89基ありそのうちの遺産構成資産49基が選ばれた模様です。
古市古墳群は主なものでも32基あるそうで、いかに古市が古墳の宝庫かがうかがえます。まさに古墳群です。
~歩いて知る いにしえのロマン・謎・神秘~
訪ね歩きました。
いきなり古墳に出向いても成果は期待できません。
事前に予備知識を得ることで、対象物の理解も格段に深まります。
講師は、羽曳野市教育委員会 文化財保護課 担当者様が務められました。
内容として
・古墳の定義
・古墳時代の定義
・古墳群の携帯
・古市古墳群概要
・ 〃特徴
・ 〃歴史的意義 ・ 〃魅力
古墳を知らない者にとってはまさにコーフンもの?
後半は統計資料を用いた講義でした
都道府県別の古墳数やその分布
関東地方は沢山あるが規模は小さい
関西地方は数は少ないが規模は大きいとか
ここで陪塚(ばいちょう)なる用語がでてきました 巨大古墳の周辺に配置されたサブ古墳のようですが 古市古墳群以外には顕著に見られないとのことでした
※古墳トリビア
☆前方後円墳の名称は江戸時代にあったようです
☆初めての発掘は1693年徳川光圀によってなされた
☆天皇陵指定のきっかけは幕末の尊王攘夷運動であった
羽曳野市役所を出発し、①向墓山古墳~②羽曳野市文化財展示室~③野中古墳~ ④峯ヶ塚古墳~⑤白鳥陵古墳 現地解散。 全長3km弱の距離を午後から三時半まで、講師の説明を受けながらの散策でした。
市役所ロビーで出発前ミーティング
歩いてすぐの場所にある向墓山古墳
各班別に ①向墓山古墳に向け出発です
この古墳はいわゆる墓山古墳の陪塚(ばいちょう)といわれるものでした 古墳としてのイメージ湧かない
プレハブ作りの展示室
中は狭いので各班交代で入場です
展示物を見学です
すべて実物
形象埴輪
これもハニワ
円筒埴輪です
これは現代のハニワ
円筒埴輪とT氏の背比べ
氏の身長165cm埴輪と一緒です
T氏は埴輪民族の末裔?
墓山古墳の説明を受けます
古墳の濠に沿って歩を進めます
大きな鯉が泥の筋をつけながら
泳いでいました
住宅地の中に野中古墳はありました
これも墓山古墳の陪塚(ばいちょう)で武具・農工具が収められていたという
古墳の頂上で説明をうけます
埋葬品から墓山古墳の被葬者は貴重な鉄製品を所有できる実力者と推測できるらしい
ハイテク案内板
最近の案内板はスゴイです
スマホでQRコードを読み込むと古墳上空の動画が再生され 古墳の全体像をリアルに把握できます
住宅街の金木犀の香りに包まれながら次の古墳に移動です
外環の歩道橋から遠くの
清寧天皇陵古墳(せいねいてんのうりょう)(池の奥茂った森)を望みます
古墳まえで休憩
やや疲れ気味の様子
この古墳は全長100m近くあります
羽曳野市教育委員会が大型古墳を初めて発掘調査をしました
墳丘は普段立ち入りが出来ないのですが ガイドの案内で元気人だけが登ります
頂上で当時の発掘調査の説明をうけました 白線が掘削ラインらしい
後部墳丘から前部墳丘(登ってきた方)を眺める
皆さん墳丘でなに思う 古代人もここから遠くの二上山を眺めたことでしょう
竹内街道を東に向かうと 濠に映る白鳥陵古墳が見えてきます
今回の散策で一番うつくしい古墳でしょう
前方部北西角から南東向きに見る
濠に映る古墳が美しい
解散地点に集合です
ここで白鳥の名前の由来をガイドから聞き 最終見学古墳にふさわしく どっぷりと古代ロマンに浸りました
白鳥陵を背景に集合写真です 皆さんここで解散です 一日お疲れさまでした
秋の夕日を浴びて皆さんそれぞれ帰途につかれました
お疲れ様でした